近年、企業が社会的信用を守るためにコンプライアンスを重視するという流れが顕著になってきています。歯科業界でも同様に、歯科医院としての「ハラスメント対策を、どのようにすればよいのか?」という歯科院長からの相談も多くなっています。
この連載では、パワハラやセクハラなどのハラスメントの具体的な内容および歯科医院における対策方法について、経営者側の弁護士としてハラスメント等に関する紛争を多く取り扱っている弁護士・佐賀寛厚が解説していきます。
今回は「歯科医院がハラスメント対策をしないと、どんなリスクがあるのか」について取り上げます。
なぜいまハラスメント問題に取り組むべきなのか?
3大ハラスメントとは
近年、職場で問題となることが多い3大ハラスメントは以下のとおりです。詳しく解説しましょう。
- パワーハラスメント(パワハラ)
- セクシャルハラスメント(セクハラ)
- マタニティハラスメント(マタハラ)
1.「パワーハラスメント」
職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、その雇用する労働者の就業環境が害されることです。
2.「セクシャルハラスメント」
職場において行われる労働者の意に反する性的な言動により、労働者が労働条件について不利益を受けたり、就業関係が害されたりすることです。
3.「マタニティハラスメント」
職場において行われる上司・同僚からの言動(妊娠・出産したこと、育児・介護休暇等の利用に関する言動)により、妊娠・出産した女性労働者や育児休業・介護休業等を取得した男女労働者の就業環境が害されることです。
大切なのはハラスメントの基礎知識や対策方法を「正しく理解する」こと
世間一般に目を向けますと、ハラスメント問題が初めて話題となったのは30年ほど前と言われています。まずはセクシャルハラスメントが問題とされ、その後、パワーハラスメント問題が深刻化しました。最近ではマタニティハラスメントも認知されるようになり、現在では様々なハラスメントが重大な社会問題となっています。
また、現在はSNSなどで従業員が自らの意見を簡単に発信できるようになったこともハラスメント問題がクローズアップされてきた大きな要因の1つと言われています。
ハラスメント問題を放置しておくと、被害者の人格を傷つけることはもちろん、職場環境やモラルの悪化による生産性の低下や、人材の流出、歯科医院イメージの低下などの問題が生じます。加えて、歯科院長がハラスメントをした場合でなくても、歯科医院が被害者に対して多額の損害賠償責任を負うこともあります。
このように、ハラスメント問題を放置することにより、歯科医院の経営に直結するリスクが増大することから、いち早くハラスメント対策に取り組む必要があります。
さらに、最近、歯科院長から、「どこまでがよくて、どこからがハラスメントになるのか」がわからないことが原因で、従業員に対して適切な業務指導ができないとか、従業員とのコミュニケーションがうまく取れないという悩みが寄せられることも多いですが、このような悩みを解決するためにも、ハラスメントの基礎知識や対策方法を正しく理解することが大切なのです。
歯科医院におけるハラスメントの現状
厚労省による調査(※)によれば、民事上の個別労働紛争の相談内容としては「いじめ・嫌がらせ」が全体の22.8%と一番多く、件数としても毎年増加し続けており令和2年度だけでも約10万件という非常に高い数字になっています。
※令和2年度個別労働紛争解決制度の施行状況(令和3年6月発表)
特に一般的な企業では、経営層は主に経営を行い、人事・労務などの管理業務については部下である従業員が担当することが多いですが、歯科医院の場合、以下のような問題があります。
- 院長が経営だけでなく実務(施術)も担当する
- 経営のサポートをしてくれる管理職が少ない
- スタッフの相当数が異なる有資格者であるという点で労務管理が難しい環境
このような環境下でも、歯科院長がスタッフをうまく統率し、一体として医院を運営することができればよいのですが、日々の業務に追われ、スタッフマネジメントに重きを置く時間がない歯科院長が多いというのが実情です。
さらに、歯科医院の場合、従業員規模がそれほど大きいわけではないため、院内で発生した事象に関する情報が他の従業員にすぐに回りやすいうえ、横の繋がりが強いため院外に対しても情報が流出しやすい特徴があります。
そのため、ハラスメントが発生した場合、院内外を問わず情報がすぐに共有されてしまうおそれが高いという特徴もあります。
「ハラスメント」を放置しておくことのリスク
なぜ、ハラスメントが悪いのか?
ハラスメントを放置することによるリスクは、大きく分けて2つあると考えられます。
1.被害者や従業員への悪影響
ハラスメントを受けた被害者の尊厳や人格を傷つけることになることはもちろんですが、ハラスメントが横行することにより職場環境が悪化し、被害者の休職や退職だけでなく、周りの従業員の退職にも繋がっていくことが多いです。
2.歯科医院経営への悪影響
ハラスメントが横行する職場では従業員が気持ちよく働けませんので、従業員のモチベーションが下がり、生産性の低下を招きます。
また、歯科医院では、患者と従業員の距離が近いことから、労働環境の悪化を原因とした職場の悪い雰囲気は、患者にも伝わってしまいますので、いくら施術対応が良好であったとしても、いずれ患者は離れていくでしょう。
さらに、従業員が退職したり休職した場合には、その穴を埋める従業員を採用するためのコストが必要になるばかりか、上記のように、ハラスメントが多い歯科医院というネガティブな情報が院外に出回ってしまうことにより採用コストがさらに高くなってしまいます。
そのため、これらのリスクを回避するためには、速やかにハラスメント対策に取り組む必要が高いのです。
ハラスメントが発生した場合の歯科医院や歯科院長の責任
ハラスメントが発生した場合の歯科医院の責任としては、歯科院長がハラスメントの加害者である場合には、歯科院長個人が被害者に対して損害賠償をする義務を負いますし、被害者に対する暴行・暴言については刑事罰の対象となる場合もあります。
また、歯科院長がハラスメントの加害者でなかったとしても、ハラスメント行為を放置・隠ぺいしていた場合には、債務不履行責任(安全配慮義務違反)や使用者責任を問われ、歯科医院や歯科院長が損害賠償をしなければならないことになりますし、職場内のハラスメントにより被害者が病気となり休職したときは病気が回復するまでの給与を保証する必要もあります。
なお、ハラスメントにより被害者が病気となり、その結果、不幸にも被害者が亡くなったり重い後遺症が残った場合には、歯科医院や歯科院長が何千万円もの多額の損害賠償をしなければならないことも十分考えられます。
このように、ハラスメントが発生した場合、歯科院長が加害者でなくても、歯科医院や歯科院長に重い責任が問われることがあるのです。
実際にあったハラスメントの具体例
私が実際に経験した歯科医院におけるハラスメントのうち典型的なものとしては、「先輩歯科衛生士(歯科助手)が後輩歯科衛生士(歯科助手)をいじめる」「歯科衛生士が歯科助手をいじめる」など、強い立場の従業員が弱い立場の従業員にハラスメントをするというものが挙げられます。
それ以外に、歯科医院特有のケースとしては、「先輩歯科助手が新人の歯科衛生士をいじめる」というものもあります。
というのも、歯科衛生士は国家資格ですので、一般的には歯科衛生士の方が歯科助手よりも給与が高く設定されています。もっとも、歯科衛生士が新人であったり、ブランクがあったりする場合、当初は職場環境を熟知している歯科助手が仕事を教えるケースが多く見られます。
そうすると、先輩歯科助手からすると「自分より仕事ができないのに、給料も高く、面白くない」という気持ちがあり、先輩歯科助手が新人歯科衛生士に仕事を教えなかったり、「こんなこともできないの?」などと嫌味を言ったりして、いじめるということがあるのです。
このように、ハラスメント問題というのは、職場によって様々なケースがあり、歯科医院特有のものもあることを理解していただければと思います。
今回のまとめ
職場内におけるハラスメントのリスクとしては次の2つがあります。
1.被害者や従業員への悪影響
(被害者の尊厳や人格を傷つける。被害者の休職・退職や他の従業員の退職に繋がる)
2.歯科医院経営への悪影響
(従業員の生産性が低下する。患者が離れていく。採用コストが高くなる)
また職場内でハラスメントが発生すると、歯科院長が加害者である場合はもちろん、それ以外の場合であっても、歯科医院や歯科院長が高額の損害賠償を支払う義務を負うおそれがあります。
以上のとおり、ハラスメント問題には歯科医院経営のリスクが数多く潜んでいますので、速やかにハラスメント対策に取り組まなければなりません。
また、ハラスメント問題を必要以上に怖がってしまい、従業員に対して適切な業務指導ができなかったりコミュニケーションが不足してしまったりするような事態も避けなければなりません。
そのためには、まずは、歯科院長自身がハラスメントの基礎知識や対策方法を正しく理解するということが重要なのです。
次回はハラスメント問題の中でも最も多いパワーハラスメントについて解説します。
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檜山・佐賀法律事務所 弁護士
京都市出身。
京都大学、京都大学法科大学院卒業。
2008年 弁護士登録。
2020年、経営者の「参謀」としての業務に注力するため、弁護士4名で弁護士法人檜山・佐賀法律事務所を開設。東京オフィス、大阪オフィスを構える。
医療業界の労働環境の特殊性を踏まえた経営者側の弁護士として、紛争にならない・紛争になった場合にも負けないような社内体制の構築・運用や個別案件の対応を得意としており、紛争処理も多数取り扱う。